私の母がたが神道なんですよね。子供の頃は関心も知識もなく、教えてもらったり聞いたりはしてたのでしょうが仏教のお経も神道の祝詞も区別がついておらず、親戚のタイプによって今回はこっちでやるんだな、などと経験上推測していた感じでした。大叔父は現役の神主で、おじいちゃんもおばあちゃんの葬儀の時も仕切っていただきました。が、地方でいつもとんぼ返りなのでゆっくり話すこともなく、儀式の曖昧な記憶だけがありました。子供の頃はいつもと違う窮屈な服を着て謎の儀式をじっと動かずに聞いているということそのものがストレスだったわけで。でも何度かこのメンツの時はここでこのような段取りで行われるのだというイメージはありました。鳥居があるのが神社で仏像があるのがお寺、ぐらいですかね。色々気づけたはずなんですけど、残念ながらあまり興味がなかったんでしょうね、あまり記憶はないです。お墓とは違う感じで、丘の一角の広場みたいなところでお供物にはいつもこうや豆腐が置いてあったなあ、という風景の記憶だけが残っています。
そんな、普通の人よりも神道との接触が多かったはずの私ですが、神道に対して全く知識がないことに驚かされました。あらたまって教わったこともなかったですし、初詣や七五三などの行事はそうしなさいといわれた通りに振る舞うだけでしたし。手を清めたりお祈りの手順であったりお賽銭の作法とかは多少知識をつけたりはありましたが、行き帰りの参道の出店の方が主役で気持ちが上がる、というのが正直なところでしたもんねえ。
タイトルの、教えがないというアプローチは面白いですね。確かに神道ルーツの教えといわれると出てきません。 先ほど書いたような拍手と鈴の作法等はありますが、あらためて「教え」といわれるとしばらく考えてみたのですが、 頭真っ白です。その他にも本書では 他の宗教にはあるけれども、神道にはないものが列挙されます。かなり世界的にも特殊な宗教だったんですね。そしてその特徴があるからこそ、これまで残ってきて、人々の生活に溶けこんているという理由についても語られます。 日本史以前の伝説の頃の話、日本史の授業でもちょこちょこ出てきたような天皇や政治の話。通して聞くとなるほどと合点がいくところも多く楽しんで読めました。今度はないものだらけの神道そのものについても、もうちょっと知りたいなと思った次第です。

[増補版]神道はなぜ教えがないのか 島田 裕巳 (著) 扶桑社
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