読書メモ:体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉

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運動神経悪い中年の私であるが、現在運動神経の悪さでコンプレックスを感じることはない。普段の佇まいや所作がどん臭いぐらいのことはあっても、運動神経を披露するようなシーンもないからだ。子供の頃は足が速い子が羨ましかったし、どの競技でも経験者のように振る舞える友人を見て、どうなってんだ?といぶかったりした。コンプレックスを感じた。でも、それは今考えるとモテたいからであって、運動神経いいやつはずるい、という感情がベースにあったんだと思います。

子供の頃の運動神経悪い、は体育の授業の成績目線で考えると色々無要素があったんだと思います。たとえば、落ち着きがないとか、やるべきことをちゃんと聞いていないからできない、とか体格面での差とか、言われたことやルールの理解度、あとチームでの仲良し度とかいじめられっ子の存在とか。当時は深く考えたことなんてなかったですけど。

体育会の部活のように、毎日個人またはチームで取り組んでいくとなるとやるべきことも課題も突き詰めていくことになる。試合や大会で勝つためにみんなで目標に向かって頑張る。技能はロジカルに言語化され、反復練習を毎日することで自然に体が動くようになる、考えなくても反射で体が動くようにするために。

体は、頭の支配下にあるのか?体に染み付くと頭を使わなくても体が勝手に動くものなのか?できなかったことが「できるようになる」ということはつまり何が起きているのか?そのような体のメカニズムや、くせみたいなものを最新科学や技術で紐解いていくのが痛快。ピアニストの指の動きとか、野球選手のピッチングフォームとか、球技の球から見た映像とか、身体の話で脳が混乱し不思議な気持ちになる。このアプローチは初めてだー。古屋晋一(ソニーコンピュータサイエンス研究所)、柏野牧夫(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)、小池英樹(東京工業大学)、牛場潤一(慶應義塾大学)、暦本純一(東京大学大学院)というその道のトップと、穏やかに深く研究テーマに寄り添う著者の力量もステキ。

『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』伊藤 亜紗 著 文藝春秋

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