読書メモ:映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ-コンテンツ消費の現在形

オーディオブック読書

最近こうやって少し長めの読書メモをアップするようにしているのですけれど、淡いながら理由はあって、ちょっとコンテンツに対して雑なんじゃないの自分。大丈夫なの?一応お前も広い意味でコンテンツに関わって飯を食ってる立場なんじゃないの?って問われているような気がしているのです。特にサブスク時代になって、結果解約したサービスもあるけど結構試してまわってみました。そして自分の蔵書とか、知への投資とかとは別の触れ合い方ができるようになってから、自分はどうそれに触れて、どう向かいあったか、蛇口の水のようにたれ流して消費してないで、少しはつめあとを書き留めておいた方がいいんではないか。そんな気がして、今さらながらコツコツつけるようにしているんですが、そのきっかけになったのがこの本です。いやはや、食らいました。やられた、本当に。昨年読んだ中で間違いなく一番インパクトを受けた一冊です、多分。あ、『三体』と同着、いやいやまあそれは競合しないということで。

書評か何か、確か朝日の読書欄だったような気がするのですが、そこで本書を知ったとき、ちょっとバツが悪い気分になりました。そうです、本書のタイトルの通りに生きています。NETFLIXで韓国ドラマを見るときは、例外もありますがデフォルト1.5倍速の設定です。またこれが素晴らしいことに、声がそのまま1.5倍の速さにならずに、間で調整しているんだと思いますが、そんなに早回し感なくいけるんですよね。作品を棄損するような見方じゃないってー。って自分に言い訳してその場を立ち去りました。ただ本書はその後も書評の枠を超えて採り上げられるようになり、その度にちょっとズルしたのをたしなめられたような、てへぺろのかわいくないバージョンみたいな気分になったのでした。

いつの間にかオーディオブック版が出ていたので、じゃあ倍速で聞いてやろうか、え?みたいに挑発的かつ軽い気持ちで読み始めたのでしたが、すぐに襟を正す結果となりました。淡々と、エビデンスもしっかり紹介しつつなぜ人々がこのようなコンテンツの受け取り方をするのかを追っていく。特に当たり前のように早送りで見る若者たちへの取材の掘り下げ方、また若者以外の人はどうかという目配り、そして反対にコンテンツを提供するクリエイター側への取材と、議論の深まり、考察の進行に応じて取材された方々の新しい言葉が紹介されたり、とても真摯かつ丹念に構成されているのがわかります。

そう、本書はタイトルそのまま「映画を早送りで観る人たち」その人たちが特に若者だというならば、彼らを単純に批判するという内容ではありません。そのようなスタイルを社会現象として紹介するというだけでもありません。映画をはじめ毎日怒涛の如く生成されるコンテンツの洪水に、限られた時間でいかに自分にふさわしい、あるいは自分が好きなものを享受できるか各々知恵を絞りお金(コスパ)と時間(タイパ)をやりくりしている工夫と、また工夫をしないと人間関係的にも居心地の悪い環境となっている、そんな背景と状況が丁寧にあぶりだされています。もちろん我が子らを見ていても自分が同じぐらいの歳だった頃よりはるかに忙しそうだし、またはるかに効率のいい情報ツールを持っています。となると、だよねえ、気持ちはわかるんです。

映画は、映画館の環境こそそんなに変わらないですが、家で映画鑑賞というと金曜ロードショーや深夜番組などで、早送りどころかCMも飛ばせず長い尺を拘束されたわけで、CMまでトイレをがまんしていたらCMでトイレバッティング地獄みたいなこともありました。そりゃネトフリだショート映画だ、の今とどう比べていいかもわかりませんね。背景を深掘りする中であぶり出される事情、ひとくくりに若者といっても出てくる好みや、価値観によるコンテンツの受け取り方の「差」についても取材に基づき紹介されていて面白いです。基本的にそのような工夫をしている人はそもそも情報に対するリテラシーが高いからこそ、なわけです。いうなれば、頭がいいから勉強法に関して一家言ある、みたいな感じでしょうか、勉強になリます。ただネタバレを先に見る、とかの発想は自分としては受け入れれられないですけど。

タイパ原理主義の世の中の風潮にいかがなものかと感じる著者の気持ちはにじみ出ているとはいえ、もちろん映画なんてものは早送りはおろか途中退席も言語道断である!と一刀両断に訴えているわけではありません。ではあるけどそんなに忙しいわけでもないのに、なんとなく時間を浮かせようと、結果を早く求めようと早送りで見ているおじさんとしてはやはり読了後も居心地が悪く声が小さくなってきます。なんというか、早送りするコンテンツとそうでないコンテンツを明快に自分の言葉で理由づけする、取材で登場する若者の言葉に我が意を得るって情けないですね。。

サブスクだから月額としてはさほどの金額とはいえないですが、冒頭に書いたように全然見ていなかった映画を最近観るようになりました。老眼が進んで書籍に向かい続ける時間が自然に短くなっていってはきましたが、オーディオブック で読む本の数ははっきりと増えました。再生速度の前に、コンテンツに対峙する時間は間違いなく増えています。私とて名作映画を軒並み倍速で「こなす」ような見方をしているわけではもちろんありません。作品を味わうか、ジャンクに刺激に痺れるか、情報を得るのか、目的の上での手段が割り切れていればいいんじゃないかとは思うのですが。

サブスクコンテンツを提供するサービスは、いってみれば毎日食べ放題のレストランに住んでいるようなものといえるでしょう。そこでコスパがいいものを腹一杯毎日食べよう、一番いいのはローストビーフか、じゃあ毎日そればかり食べよう、なんてしてたらすぐつまんなくなるし、第一体に悪いですよね。さらにパフォーマンス上げるために早食いスキルを得るんだ、なんてアホか、ってなりますよね。

自分の好みと、得たいものについて自覚的にならないと早回しがどうあれすぐに時間が飛んでいきます。そう、青空文庫が話題になったときだって一瞬そう思ったものでした。ひょっとして一生本代いらない世の中になるの?て。出版業界にいるサラリーマンの立場としては戦慄でしかなかったわけですが。無料だからといってこれを全部読めるほど時間があるわけじゃないし、結局読みたいもの、有料であってもその時に必要なのを選んでいくのだ、と。

感想なんだかいいわけなんだかぐだぐだ書きつづってしまいましたが、いやー本当にコンテンツ周りの人はぜひ読んでほしい、そして私と同じドヨーン感を持ちましょう。共感か違和感かを分かちあいましょう?

『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書)』
稲田 豊史 (著) 光文社新書

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