生成AIを使用した疑いで小説が発売中止に–初のケースか(CNET JAPAN)
先週末にこのニュースが英語圏のあちこちのニュースソースで報じられ、早速日本語の記事も出ました。話としてはこんな感じです。
アシェットが、AI利用疑惑を受けて小説『Shy Girl』の販売中止・回収を決定しました。同作はもとセルフパブリッシング作品で、英国では約1,800部が販売済み、米国でも春の発売が予定されていましたが、SNS上での生成AI使用疑惑の拡散を受け、社内議論の末に市場からの撤収が決まりました。
ああ、こういう感じですね。そうっすね想像できますよね。

いつもチェックしている鷹野さんのニュースまとめでも、記事内で紹介されている古幡さんの分析でも、この出来事の重さについて言及されています。「判例」として、米国版は出版中止、先に出た英国版は販売中止となったこと、そして大手出版社から出されていることも影響しているのでしょう。
本件は含みというか論点というかが多く、著者が「自分はAIを使っていないので、その後の編集過程で使われたのではないか」と主張しているなど、盛りだくさんなんですよね。
ただし、その部分にはここでは触れません。また、ネットやSNSで疑惑が拡大したことや、「AIの作品を読ませるなんてひどい」といった声が圧力となって出版停止が決まったという出版社の判断がどうなんだいということについても、今回は保留とします。
このブログでは、出版とAI、そして出版の海外展開に関するニュースを毎週ご紹介しています。

電子書籍・オーディオブックやAI、海外版権などの業界ニュースやトピックです。
今回はその目線から、自分なりに整理しておきたいことを記しておきたいと思います。鷹野さんがおっしゃっているように、実際の出版社の現場では(いや出版社は遅れているという自虐目線はありますが)、日常業務にAIは当たり前に浸透してきています。
それは各種書類の作成やツールの利用にとどまらず、企画の壁打ちやブラッシュアップなど、さまざまなステップでAIが使われています。編集過程で使っているソフトウェアにビルトインされたAIが、裏側でさりげなく仕事をしてくれることもあります。
出版までのトータルなプロセスをみて、「肉筆何パーセント、AI何パーセント」といった具合に、脳内メーターのように成分分析をすることは、事実上不可能になっている、というかそういう判定は意味がないのではないかと思います。もちろん、小説のようなフィクションとノウハウ本、あるいは学術書では、AIに対する受け止め方がそれぞれ異なるという点は理解できます。
とはいうものの、一次創作において「一文字一文字、すべて自分がタイプした」というような純度を求めるのは、そもそもナンセンスなのではないでしょうか。というより、そこを議論すること自体、もはや意味をなさない段階に来ていると思いますよ。タイピングのトレースをブロックチェーン技術で記録するとかですよ、川端康成の直筆のお手紙が残っていた、発見!みたいにやるですか、いやいやいや。

AIが書いたものかどうかを判定するツールの話もありますが、それはAI同士が判定し合っているようなもので、どこか寓話的に思えませんか。判定するAIを信じる人が、なぜAIで作られた小説を否定するのか――少しジレンマ的ショートショートのような感じしません?何やってるんすか僕ら、みたいに思えちゃいますよね。
今回は国をまたいだ出版の事例ということで注目されている面もあると思いますが、実際には同じアシェット・グループ同士の話であり、かつ英語という同一言語圏での出来事でした。
海外版権目線でこの件をみると、もやもや論点はさらに増えてくるんですよねえ。翻訳による多言語展開では、海外に売り込むべくグローバルに自社商品を紹介せねばなりません。
相手国に検討してもらうために、あらかじめ相手の言語で内容紹介文やリリースを作成する必要があります。時間もコストもかかる作業ですが、現在は生成AIの高精度な翻訳によって、かなり省力化されているのが実情でしょう。ありがたい。
ではこういうケースはどうでしょう。著者が原稿をすべて万年筆で書いた「人間純度100%」の英語小説があったとします。
その評判がよく、日本の出版社が版権を取得して契約が成立。出版社は、いつものようにつきあいのある翻訳会社に翻訳を依頼します。その翻訳会社は、最近ではまず生成AIで全体を翻訳し、その後、人間が一文一文チェックして再構成・修正・統一していくプロセスを取ります。
最終的には端から端まで人の手が入った翻訳原稿が完成します。めでたし。ただしここで事故が起きる可能性もありえます。翻訳担当者が、うっかり最終稿ではなく、AIによる下訳の初稿を誤って出版社に納品してしまったとしたらどうでしょう。
さらに不幸なことに、出版社側がそれを信頼してスピード重視で進行し、別の校正会社に回しただけで、オッケーとそのまま出版してしまう――そんな可能性もゼロではありません。
ネイティブ原稿がAIと無関係であっても、翻訳過程でAI的な文体になってしまうリスクは、現実的にありえなくはない、ということです。
もちろん、ここまでずさんなケースが実際に起こる可能性はかなーり低いとは思いますが、リスクが潜在していること自体は否定できないでしょう。
別のケース、こんなのどうでしょ。
欧米の小説の日本語版権を取得し、翻訳・出版した後に、原語版が今回の『Shy Girl』のように炎上し、出版停止になった場合、日本語版をどう扱うのかという問題です。どちらの事情を優先し、どのように決着をつけるのか――その調整コストや負担(金返せ的な、もらったものは〜、的な)を考えると、かなり厳しい状況が想定されます。誰も儲からない調整。
また逆のパターンもあります。日本の作品を多言語展開した際、翻訳がAIによって行われ、その結果問題が発生した場合です。それが翻訳AIに起因するものであっても、日本語の原作自体の評価まで毀損される可能性があります。
トレーサビリティの確保やリスク回避のための契約設計を考えると、結局はチェック工程を強化せざるを得ません。明らかに面倒だし透明化には限界がありますよね。その結果、多国語展開の契約そのものが敬遠されるようになれば、文化的にも停滞です。
今回のような事例によって、その領域がシュリンクしてしまうことが、最も不本意な点だと感じています。そうならないために、何を整備すべきかは比較的明確になってきているはずなので、適切に最適化されていくことを期待したいところです。適切に最適化だと?
最後にですが一方で、スマートフォンをテキストにかざせば、その場で自国語に翻訳されるような機能が当たり前になりつつあります。「すぐに理解すること」と「人の手で丁寧に翻訳すること」は、目的に応じて使い分けられながら二極のまま進化していく――がいいですよね。やさしく。争わないで。
ちなみになる話、このエントリのタイトル「shy girl」にかけて「恥じらう少女じゃいられない」か「恥ずかしガール」にするか迷いました。ヒューマンでしょ。



コメント