1. 導入:危機感と愛着のはざまで
私は出版社のデジタルやライツを扱う部門に所属しております。私も含め長年「活字が大好き、本が大好き」という仲間とともに働いてきました。一方で、出版業界全体がコンテンツのデジタル化が進み、外的環境も変化しています。これまで通りやっていてもこれまで通り儲からない、という状況で危機感も日々強まっています。しかし「読者・書籍を大切にする文化」の中で、新しいアイデアがただそれが「新しいこと」であることを理由に否定されるとなると、シュリンクする環境の中で、ではどうしたらいいのか話で堂々巡りになります。こうした矛盾と向き合うのは、つらくもあり、しかし重要なステップです。
2. 出版業界における「新しいこと」の難しさ
- 伝統的価値観との衝突
活字や紙の価値を重んじる組織文化では、デジタル権利や新サービスの提案が「既存文化を否定する動き」に聞こえがちです。現場の熱意だけでは乗り越えにくい障壁が存在します。 - 組織内部のバランスづくり
新規事業を進める際、発案者だけでなく関わるメンバー全員が評価される仕組みや、失敗を学びに変える制度整備が求められます。言い出しっぺが孤立しないための保護だけでなく、プロジェクトとして価値をきちんと評価し報いる仕組みを用意する必要があります。 - 心理的安全性の確保
新しい取り組みにはリスクが伴うため、発言や挑戦を阻む空気を変え、心理的安全性を高めることが不可欠です。提案者も、巻き込まれたメンバーも安心して挑戦できる環境づくりは、多くのエネルギーを要します。
3. トップダウンの事例を知る視点
『アイデアが実り続ける「場」のデザイン』はトップダウンとボトムアップの両輪で「場」を設計するアプローチを示しますが、経営判断としてのトップダウン主導の変革例もあります。例えば学研のように、M&Aや他社とのアライアンス、制度的に新規事業プランを募る仕組みを整え、経営としてトップダウンで変革や拡大、新規事業を進めていく形です。これは「トップダウンの事例」として参考になります。こうした大きな方針と、現場の自発的アイデアを両立させられるかが鍵です。
4. 「場」のデザインとしてのアプローチ
本書が示すのは、単なる手法にとどまらず、組織全体に「アイデアが自然に生まれ、挑戦が学びになる環境」をデザインする視点です。
- トップダウンとボトムアップの両輪
組織上層部がビジョン提示や失敗許容の制度整備、リソース配分などを行う一方で、現場レベルにも自律的にアイデアを発掘し実験できる仕組みを用意する。両者のバランスが取れなければ、いずれかが空回りします。 - 文化的マインドセットの変革
「新しいことには批判的」という既存文化を否定するのではなく、「挑戦して改善すること」が企業価値の一部であると再定義する動きが必要です。言い出しやすさ、失敗からの学びを制度的に保証することで、挑戦が敬遠されない空気をつくります。 - 評価と報酬の仕組み
単に発案者を守るだけでなく、新規事業に関わった人材が適切に評価される人事制度や表彰制度を整備する。小さな実験成果でもチームとして価値を共有し、次への意欲につなげる仕掛けが重要です。 - コミュニケーションと対話の場づくり
日常的にアイデアを交換できる場、社内コミュニティやワークショップ、対談セッションなどを設けることで、組織内の「新しいことへの抵抗」を和らげ、共通理解と合意形成を支援します。
5. 出版業界の文脈で考える
出版に関しては、かつて組版の部分からデジタルに変わったことで、コンテンツ自体がデジタル化される大きな転機を迎えました。電子書籍やライツビジネスは「二次的な売上」と呼ばれますが、そのハードルが下がった背景には、コンテンツのデジタル化があります。そして生成AIの登場は、このデジタルコンテンツを新たに意味づける機会と捉えられます。活字志向が前提として変わらなくても、編集や営業が日常業務でAIを活用するようになる中で、新しい何かを生み出し育てるには、どのような環境が必要でしょうか。
・実験的プロジェクトの小規模立ち上げ
大規模投資を要さないPoC(概念実証)を繰り返し、小さな成功例や学びを社内に可視化します。成功ストーリーが蓄積されることで、否定的な空気も次第に和らぎ、新たな挑戦を受け入れやすい土壌が育まれます。
・社内コミュニティとの連携
編集者、権利部門、営業など各部門のメンバーが参加する異部門ワークショップを定期的に開催し、デジタル施策や新規事業アイデアを共創する機会を設けます。多様な視点が掛け合わさることで、より実践的で受け入れられやすいアイデアが生まれやすくなります。
・評価制度の見直し提案
新規事業への関与度合いや実験成果を評価指標に組み込む仕組みを検討します。提案者だけでなく協力メンバーにもポイントやインセンティブが付与される仕組みを、経営層と協議してデザインすることで、挑戦への動機付けと組織全体の協力体制を強化します。
6. まとめ:挑戦を支える「場」のデザインと文化づくり
新規事業が必要であることは、多くのメンバーが理解しているはず。しかし、「本当にやる」ためには、説得ではなく、自然に挑戦が育つ場をデザインし、文化として根付かせる努力が欠かせません。特に以下のポイントが重要です。
- ボトムアップのアイディアを実現できる組織であること
思いついた人が自然に必要なリソースを相談でき、やる・やらないを適切に判断できるステップがあり、言い出しっぺが適切に評価され、巻き込まれた人もきちんと評価される。そしてうまくいかなかった場合の対応も一定の筋道を立てる。堅苦しいマニュアルではなく、それらを柔軟に仕切れる文化があることが不可欠です。
本書はそれを「デザイン」と名付けていますが、まさにそれはデザインだと感じます。案内板があっても迷ってしまう建物がある一方で、大げさな案内はなくても自然に誘導されるようなデザインがあるように、環境そのものをデザインとして落とし込んでいくことは大変高度ですよね。実績をもとに形にしていくことが最も現実的で取り組みやすいのではないかと思います。 - トップダウンとボトムアップの両立
経営としてのトップダウン主導(学研のようなM&A・アライアンスや制度的にプラン募集など)と、現場の自発的アイデアを実行に移すボトムアップの仕組みが車の両輪。どちらか一方に偏らず、両者をつなぐプロセスと文化を持つことが重要です。 - 心理的安全性と評価仕組みの整備
挑戦を提案する人も巻き込まれる人も、安心して動ける環境と、公平に評価される制度を前提としつつ、失敗時のフォローや学びへの道筋も設ける。これらは堅苦しいルールではなく、柔軟に機能する文化として醸成されるべきものです。 - 小さな成功体験の蓄積と共創の場づくり
小規模な実験プロジェクトを繰り返し、成功・学びを社内で共有していくことで、抵抗感を和らげ、自然に挑戦が受け入れられる風土をつくる。異部門ワークショップやコミュニティ、対話の場を継続的に設けることも大切です。
このように、本書が示す「場のデザイン」は、方法論だけでなく実績を伴った環境設計を意味します。出版業界の中で、活字愛を保ちつつ新規事業を生み出す組織へと進化するには、トップダウンとボトムアップを組み合わせ、心理的安全性や評価制度を含む文化を柔軟に設計することが不可欠です。本書が示すアプローチを参考に、まずは小さな実践から始め、成功体験を積み重ねることで、変革が自然に芽吹く「場」のデザインがこなれて、民芸品のように定着していけば、いいなあと思いました。

『アイデアが実り続ける「場」のデザイン 新規事業が生まれる組織をつくる6つのアプローチ』
小田 裕和 (著) 翔泳社
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