「ストーリー」という言葉がビジネス書界隈で強く意識されるようになったのは、やはり楠木建さんの『ストーリーとしての競争戦略』がきっかけではないか、と私は思っています。それ以前にも言及はあったものの、ベストセラーとなったことで、ストーリーという概念が「戦略」や「ブランド構築」など、よりビジネス文脈で語られるようになった印象があります。
その後、バイラルマーケティングやエモーショナル・マーケティングといった翻訳書の登場により、「感情に訴えかける手法」の一つとして、ストーリーの重要性は定着していきました。製品のスペックよりも「共感」や「信頼」がものを言う時代。信頼している人から、心のこもった“推し”が語られれば、つい気になってしまう。さらにエピソードが添えられれば、その説得力はより強くなる。ストーリーとはつまり「人の心を人為的に動かす力」であり、それは時に恐ろしいほど強力な武器にもなり得ます。
そうしたストーリーの力は誰もが肌で感じているものの、本書『ストーリーが世界を滅ぼす』は、さらに深くその本質に踏み込んでいます。著者のジョナサン・ゴットシャルは、ストーリーの持つ操作性と危険性、そしてそれがいかにして人々の判断や社会を左右してきたかを、哲学的かつ具体的な事例とともに論じています。
メディアや広告のように「目的」が明示されていれば、私たちもある程度の警戒はできます。しかし、本書が取り上げるのは、もっと巧妙なストーリー。私たちが物語として認識すらせずに受け入れてしまっているナラティブです。それは報道や政治の言説の中に自然に織り込まれ、私たちの感情をコントロールします。
たとえば、アメリカの某大統領に関するくだりでは、彼がつくりあげた「自分自身の物語」の側面からの分析が紹介されており、著者の個人的な感情も垣間見えつつ、ケースとしてにも非常によくわかり楽しめました。「ディベートの顔をした洗脳」という表現となってしまうと、客観的な心構えもぶっ壊されます。お手上げです。
「私たちはストーリーから逃れられない」「意識せずにストーリーを求めている」という現実も語られます。注意をはらっても、操作されていると気づいてもなお、その物語の中で生きるしかないのか〜どうせ逃れられないなら、せめて呑気でハッピーなストーリーにまみれていたい。そんな皮肉な感情が浮かんでしまいましたよ。

『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』
ジョナサン・ゴットシャル (著) 東洋経済新報社
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