東 浩紀さんの著作を読み切った(オーディオブックですけどね)のは、今回が初めてだったと思います。
これまでも手に取って読み始めたことはあったのですが、たまたまかもしれませんが、とても難解で読み進めるのが大変だと感じ、挫折してしまったことがあります。その経験から、私は「この人の本は難しい」というレッテルを貼ってしまい、タイトルに惹かれるものがあっても(タイトルそそるんですよねえ)「どうせ読み切れないだろう」と警戒して手に取らない状態が続いていました。
そんな中で今回、『訂正する力』という新書が出たことを知り、「新書ならそこまで専門的な知識がなくても読めるかもしれない」という希望を抱いて、思い切ってぽちりました。
改めて『訂正する力』を読んでみて、このアプローチは本当に面白いなと思いました。
私たちの世代は「メンツ」という言葉自体にはそれほど重みを感じない世代かもしれませんが、「ぶれない」という価値観の尊さは、わりと強く持ってきたのではないかと思います。
「あの人はぶれる」「あの人はひよる」と言われると、やっぱりちょっとダサい感じがする。だからこそ、「あれ、違ったかも」と思っても訂正せず、「初志貫徹」と言い張ってしまいがちです。そしてその後で、「あの時訂正できなかった自分」に後悔することもあります。あの空気は逆らえなかった、など人のせいではなく気体のせいにしちゃったりする。あるいは「とりあえずやってみて、あとでPDCAを回せばいい」という、もっともらしいけれど実は格好悪い理屈で開き直ったりする。そんなの今さら赤面しないほどずっとやってきましたよ、ええ、開き直り案件ですよ。
著者の本業である哲学という学問も、過去の哲学者たちがそれぞれの思考をぶつけ合い、批判し合い、修正し合いながら編み上げてきたものです。
今の哲学が何をベースに、どのような修正を重ねてきたのかを辿ることもまた学問の一部です。センスない例えでいうなら、ウィキペディアのように間違いや古い情報が修正され、新しい情報に更新され、必要に応じて枝分かれしていくようなもの。
一方、サイエンスの世界では、新しい発見によってこれまでながいこと「当たり前」だったものが覆されることもあります。そこの上書きは人文系のそれとは違いますね。
政治の世界ではさらに複雑で、利害関係者が多く、国同士の交渉のように「これまでこうしてきた」というだけでは最適解が出せない場面が多々あります。相手もあったりなかったり色々です。最近の戦争やトランプ関税のように、想定外のことが日常的に起こる時代。相手が変わったからこちらも変える、では“ぶれ”とされてしまうけれど、「実はこうだった」と訂正しながら軌道修正するアプローチは、非常に実用的で汎用性のあるテクニックだと感じました。
哲学や政治、社会や組織の意思決定など、幅広いテーマを扱いながらも、本書で語られる「訂正する力」は、どの場面にも応用できる「コミュニケーションスキル」とも言えるのではないでしょうか。哲学のアプローチで進めていきながらシンプルに実用書のノウハウとしても成立しています。
著者自身の起業から事業の変遷についてのエピソードも赤裸々に語られていて、単なる“訂正”では済まないような大きな方向転換も描かれていました。それでも結果的に「変わってよかった」「変わったから今がある」と語るスタンスはまさに臨機応変に流れゆく訂正組織。
もちろん、後から語るからこそそう説明できる部分もあると思いますが、それでも大きな変化を打ち出すエネルギーや、それを認知する労力は大きいですし、⚪︎か×で判断されてしまうリスクもあるでしょう。すこしずつ“そっと訂正”を重ね、久しぶりに会った人から「あれ、なんか変わった?」くらい自然に変化できるスタンスが、私をとりまく諸々の環境や、自分自身にとってもちょうどいいなあと感じました。「訂正できる」カルチャーであることが、無駄なストレスや居心地の悪さを解消するようなケース、たくさんあると思いますよ。
知っていたことではありましたが東さんは私と同じ年の生まれ。同世代が自分の理解できない難しいことを書いているという事実に、必要以上に恐れびびってしまう感情が私の中にあったことに気づきました。そしてこの感情自体、実はまだ自分の中で“訂正”できてなかったのですね。今回初めて通読し、ようやく訂正できそうです。
『訂正する力 (朝日新書) 』
東 浩紀 (著)
コメント