先月、『学力喪失』『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』『わかったつもり』という3冊を、特に目的もなく、たまたま続けて読んでみました。どの本にも「スキーマ」っていう、ちょっと聞きなれない言葉がたくさん出てきたのです。これはもう勝手に「スキーマ三部作」と命名させていただきました。
スキーマとは何か。ざっくりいうと、過去の経験や知識をベースにできあがった「理解の枠組み」とか「知識のテンプレート」みたいなもの。つまり、「これはこういうもんだよね」と、自然に思っちゃう頭の中の型みたいなものです。
これらの本では、物事を理解するためにはスキーマがめちゃくちゃ大事だ、という話がされていました。ちゃんと血肉化したスキーマを持って、それを上手に組み合わせて使えることが、読解力のカギになると。理解するための土台、バックボーンになるよ、ってことですね。
それはわかるのですが。スキーマって便利だけど、逆に危ないところもあるんじゃないかとも後で感じたわけです。つまり、あらかじめ用意された「当たり前」となっている知識を使うことで、「本当にそうかな?」と疑ったり、自分で感じたりするチャンスをスキップしてしまうことがあるわけです。要は、考えるコストを省略して、スピード重視で理解してるってことですよね。
これと似ていることが、本書の前段となる効率化の世の中の「当たり前」にもあるのかな、と。仕事や勉強でも、目標を立てて逆算してToDoをこなしていくのは、ごくごく普通のことだと思います。PDCAなんかも、まさにその典型です。決めたことを合理的に、効率よく進めるにはピッタリのやり方です。
でも、そもそも立てた目標が、どこかで聞いたことがあるような、よくあるアイデアだったら? 誰かが作った「世の中的に正しそうなもの」だったら?
いくら効率よく頑張っても、面白い成果は出ないかもしれないなあ、と思うわけです。
本書『裸眼思考』はこのようなジレンマをうまく取り出し、別の理解の仕方を提示することでこの問題に取り組んだ一冊です。
本書では、前述したようなロジカルな考え方を「レンズ思考」と呼んでいます。著者は、レンズ思考を否定するわけではなく、このような考え方では解決できないものを理解する方法として「裸眼思考」を提案しています。
裸眼思考というのは、目的や知識にとらわれず、ありのままを見つめること。感じたことをすぐに意味づけしたり判断したりせず、「保留」する。モヤモヤをそのまま抱えておいて、身体に温存しておく。そんな姿勢のことです。
これ、ビジネス書などでは「ネガティヴ・ケイパビリティ」と呼ばれるものに近いですよね。容易に答えの出ない問題、不確かさや曖昧さを認識しながらも、無理して解決せずそのままにしておく力。哲学っぽいいい方をすると、「エポケー」が近いんじゃないですかね。先入観をいったん剥がして素になってみる。
この考え方は、今までの「合理化=効率化=価値を生む=仕事ができる=正義」みたいな価値観にガチガチに縛られてきた私たちにとっては、説得力がありましたし、正直、ちょっとホッとしたりもしました。
ちなみに裸眼思考を知ったからといって、レンズ思考を手放す必要はありません。
むしろ、状況に応じてうまく切り替えながら使い分けられるなら、レンズ思考も今以上に良いツールになるんじゃないか、そんなふうに思いました。私も中近両用の老眼レンズと裸眼を状況に応じて使い分けてますしね、ええ、ええ。
『裸眼思考』 荒木 博行 著 かんき出版
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