酒井順子さんの単行本を読むのははじめてかもしれない。たくさんの著書がおありなことも存じ上げていますし内容が面白いことも知っている。ではなぜ読んでいなかったのかといえば週刊誌で読んでいたからなのです。
文春も、新潮も中吊り広告で毎週面白そうな特集やスクープの文字列が並び、当たり前にあの箇条書きをお仕事のように読んでいたのでした。学生のころは買うことはあまりなかったけれど、立ち読みもまあまあできたし図書館もあったし電車の網棚にも読み終えた雑誌が置いてありました。文春砲などという軍事用語が世に出回るはるか前のことです。活字中毒というわけではないですが、今から考えたら無尽蔵に時間があったあの頃、お目当ての記事だけではなくゴシップもコラムも、もちろんグラビアも。はてには広告まで読みましたよね。なんならグラビアのテキストまで読んでましたよ。
そのような感じでしたから、当時超売れっ子の酒井順子さんのコラムなんてどこかで毎週触れていたはずです。コラムの名人が持ち味もテンションもそれぞれに時事要素などおり混ぜ、自分の意見やぼやきなどの感情を味付けしてまとめる手腕を楽しんでいました。私は当時はラジオなどより週刊誌で時事のあれこれを得ていたのかなあ、多分そうだったと思います。
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人が二人いればすぐに上下をつけたくなる人間という生き物は今、もしかしたら本能なのかもしれないその「上下差をつけたい」という欲望を内に秘めつつ、「違いを認め合い、すべての人が横並びで生きる」という難題に挑もうとしています。
実は革命以上の困難を伴うものなのかもしれないその挑戦は、これからどうなっていくのか。
我々の生活の中に潜む階級の数々を見つめつつ、考えていきたいと思います。
(本書「はじめに」より一部抜粋)
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本書の書誌情報から。そして扱われる題材は
・男高女低神話のゆらぎ
・五十代からの「楢山」探し
・“親ガチャ”と“子ガチャ”
・東大礼賛と低学歴信仰
・バカ差別が許される理由
・反ルッキズム時代の容姿磨き
・モテなくていいけど、出会いたい
・稼ぐ女と、使う女
など、うんうんこういう感じ。まとめて読む気持ちよさもあるなあ、などと思いながらさくさくと進めます。いわゆる社会的テーマのもう少し学術的だったり、ジャーナリスティックなアプローチなもの、またいわゆる新書的なものを読む機会が多かったので、このような一人称のコラムの形で読むのが懐かしく楽しかったです。アカデミックな書籍は論理的にまとめる必要があったり、エビデンスが求められたりしますが、「あくまで私の感想ですけどね」の自由さと、だからこその「らしさ」だったり「ゆるさ」であったりが心地よい。そうですね、エッセイそのものにしばらく触れていなかったのも余計新鮮だったのかもですね。
ついついどこにでもある差を、上下の差にしてしまう我々のサガを、世代や男女や学歴やらとさまざまな角度から感じ取り皮を剥がしていくのです。一応一行ぐらいは、内容について触れておきます。
『消費される階級』
酒井 順子 (著) 集英社
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