哲学の大きな命題に「真・善・美」がありますがフェイクかどうかはその筆頭の「真」かどうかという話で、確かに哲学ど真ん中なテーマといえるでしょう。
フェイクニュースは最近使われている言葉ですけど、フェイクニュース時代は昔からありました。オーソン・ウェルズがラジオドラマ「宇宙戦争」を放送し、多くの人々が本当に火星人が地球を侵略していると思い込み大パニックに(1938年)、というエピソードは私も子供時代学研まんがか何かで読んで「んなアホな」と思った記憶があります。情報の入手手段が少ないからこんなお粗末なことが起きたのでしょうね、と思っていたら最近でも「ロンドンの動物園からライオンが逃げた」誤報(2012年)のようなことはしっかり起きていますのね。このような誤報も信じている本人は大真面目なわけで笑い事ではないですけど、後になるとゆるい笑い話になりますね。
けれども政治的な発言となるとそうはいきません。最近、 記憶に新しいところでは、アメリカの大統領選でテレビインタビューで、トランプさんがそりゃ違うでしょ、 てことをさも当然な顔をして話していましたが、聞いている側にすれば、それは違うでしょと思いつつも、正確に、間違いなく違うかどうかを証明できるわけではない。自分がはっきりと見たわけでもないので、疑わしいなとは思っても、ひょっとしてそうなのだろうかとも、ひっかかりは残りますよね。ましてやそう信じたい人にとっては、やっぱりそうだったんだというポジティブな情報として受け取られるわけです。また、そのような政治的な意図すらない、愉快犯みたいなでたらめなニュースもある。さらに見た目が9割の人間に、AIにリアルな嘘画像を作らせて拡散されたら信じてしまう、というのもあります。また生成AIはハルシネーションをやらかしたまま広がってしまうことだってあります。本書はそれら様々なタイプのフェイクニュースを整理し、仕分けます。そして情報を出す側、受け取る側それぞれ「なぜそうなってしまうのか」についても分析されます。
特にインターネット、そしてSNSが登場してからフェイクニュースがどう変わったか、その仕組みを紐解く中でフィルターバブル/エコーチェンバーの認識論というのは「わかるな〜」という納得感がありました。これはフェイクな話だけではなく、情報収集や拡散するときにも知っておいたほうがいい気がします。
哲学的にどうか、という点では私がどこまで理解できたかは甚だ怪しいのですが、うわさ話とか陰謀論とかも含め社会的な側面からも細かく解説されていて面白かったです。あとオーディブルでは合成音声による朗読でして、これもなんというか陰謀的じゃないですけど逆に趣を感じました。

『フェイクニュースを哲学する 何を信じるべきか (岩波新書)』
著:山田 圭一 岩波新書
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